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松山地方裁判所 昭和53年(ワ)154号 判決

原告・反訴被告 宮崎鼎五

被告・反訴原告 国

代理人 川上磨姫 都嵜清孝 藤田正博 河口鼎 ほか六名

主文

1  原告の本訴請求を棄却する。

2  原告は、被告に対し、別紙目録記載の土地につき、年月日不詳売買を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

3  訴訟費用は、本訴、反訴とも原告の負担とする。

事実

第一当事者の求める裁判

一  本訴請求の趣旨

1  別紙目録記載の土地は原告の所有であることを確認する。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

二  本訴請求の趣旨に対する答弁

1  原告の本訴請求を棄却する。

2  訴訟費用は、原告の負担とする。

三  反訴請求の趣旨

1  (第一次的)

原告は、被告に対し、別紙目録記載の土地につき、昭和二〇年四月一日の売買を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

2  (第二次的)

原告は、被告に対し、別紙目録記載の土地につき、昭和二〇年四月一日の時効取得を原因とする所有権移転登記手続をせよ。

3  訴訟費用は、原告の負担とする。

四  反訴請求の趣旨に対する答弁

1  被告の反訴請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は、被告の負担とする。

第二当事者の主張

(本訴請求について)

一  本訴請求の原因

1 別紙目録記載の土地(以下本件土地という)はもと訴外宮崎達孝の所有であつたが、右達孝は昭和二三年五月六日死亡し、訴外宮崎達雄が相続により、本件土地の所有権を承継取得し、さらに右達雄は昭和四〇年二月一九日死亡し、原告が相続により、右所有権を承継取得した。

2 被告は、本件土地の所有権が被告に属するものであると主張する。

よつて、原告は被告に対し、原告が本件土地の所有権を有することの確認を求める。

二  本訴請求原因に対する認否

1 請求原因1の事実のうち、本件土地がもと訴外宮崎達孝の所有であつたことは認め、その余の事実は否認する。

2 同2の事実は認める。

三  本訴抗弁

1 買収

被告は、昭和二〇年四月一日訴外宮崎達孝から本件土地を買受けた。

2 時効

仮に右主張が認められないとしても、

(一) 被告は、昭和二〇年四月一日、本件土地の占有をはじめ、旧海軍松山航空隊基地(通称吉田浜飛行場)の掩体壕誘道路敷の一部として、戦後は大蔵省の所管により、これを管理し、とくにその一部は昭和二三年四月一日からは市営住宅地として松山市に有償貸付をし、昭和三九年三月三一日以降は松山市との右有償貸付を解除して、右住宅の払下げを受けた者に対し、直接有償貸付を行い、また一部は愛媛県道砥部伊予松山線の道路敷の一部として占有して、一〇年が経過した。

(二) 本件土地の右占有開始につき、被告には過失はなかつた。

(三) 仮に、右過失があるとしても、被告は右(一)のとおり占有を継続し、二〇年が経過した。

(四) 被告は、本訴において右各時効を援用する。

四  本訴抗弁に対する認否

1 抗弁1の事実は否認する。

2 同2の(一)及び(三)の事実は知らない。

五  本訴再抗弁

本件土地は、もと未登記であつたが、昭和三九年一〇月一九日保存登記(所有名義人宮崎達雄)がされ、昭和四一年三月一二日原告に所有権移転登記がされているのに対し、被告は長期間にわたつて所有権移転登記手続を求めることさえしていない。また公租公課も、これが国税である間は自ら原告より徴収し、地方税となつてからは原告の納入するに任せ、さらに昭和四〇年二月一九日原告などの抗議にもかかわらず、本件土地が被相続人宮崎達雄の所有であつたと認定して、相続人原告に対し本件土地が相続税の賦課対象物件であると主張した。

したがつて被告の本件土地の占有は、所有の意思によるものではない。

六  本訴再抗弁に対する認否

1 本訴抗弁のうち、原告主張のとおり本件土地につき保存登記及び所有権移転登記のなされたことは認める。

2 被告が、本件土地の所有者に対し地租を課したとの事実は知らない。

被告においては、各権限を行使する機関が複雑に分化しているから、いかなる機関の意思をもつて被告の意思と認めるべきかは、各機関の有する権限との関連において決定されるべきであり、したがつて、本件土地につき管理処分権を有しない税務官署が土地台帳に基づき、地租を課したとしても、被告の「所有の意思」に影響を及ぼすことはない。

仮に、原告主張のように、地租が課されていたとしても、地租法は昭和二二年三月三一日廃止されたのであるから、昭和二一年度の一回限りにすぎない。

3 固定資産税の納付については、知らない。

むしろ、被告は、国有資産等所在市町村交付金及び納付金に関する法律(昭和三一年四月二四日法律第八二号)に基づき、本件土地につき被告が所有するため固定資産税が非課税となることのみかえりとして、松山市に対し毎年右固定資産税に見合う交付金を交付してきている。

4 被告が本件土地を相続財産と認定し、原告に相続税を課したことは認めるが、その故に被告の「所有の意思」が影響を受けるものではないことは前記2記載のとおりである。

(反訴請求について)

一  反訴請求原因

1 本訴抗弁1、2と同じ。

2 原告は、本件土地につき、所有権移転登記を受けている。

よつて被告は原告に対し、第一次的には売買契約に基づき、昭和二〇年四月一日の売買を原因とする、第二次的には所有権に基づき同日の時効取得を原因とする、いずれも所有権移転登記手続を求める。

二  反訴請求原因に対する認否

1 請求原因1については、本訴抗弁に対する認否1、2と同じ。

2 同2の事実は認める。

三  反訴抗弁

本訴再抗弁と同じ。

四  反訴抗弁に対する認否

本訴再抗弁に対する認否と同じ。

第三証拠関係 <略>

理由

一  本件土地がもと訴外宮崎達孝の所有であつたこと、本件土地につき登記簿上原告が所有名義人であることは当事者間に争いがなく、<証拠略>によれば、宮崎達孝は昭和二三年五月六日死亡し、訴外宮崎達雄が右達孝の相続人であること、宮崎達雄は昭和四〇年二月一九日死亡し、原告がその相続人であることが認められ、反証はない。

二  そこで、被告が主張する本件土地所有権の取得原因である達孝から国への売渡しの存否について検討する。

1  <証拠略>によれば、次の事実が認められる。

すなわち、本件土地は現在一部は県道伊予砥部松山線の道路敷となつており、他の部分は国有地であるとして、国から訴外高須賀通、同渡部勇、同長井金光、同松原久芳に対し、その各所有家屋の敷地として賃貸借契約が結ばれているのであるが、その経緯は次のとおりである。

(一)  昭和一八年又は一九年ごろ、国は海軍航空隊松山基地に接続する誘道路を、松山市高岡町、南斉院町、北斉院町、別府町の間に設けるため、その事務処理を松山市に委託し、終戦時には北斉院地区では右事務処理はもちろん右道路開設工事も終つていて、本件土地は右道路敷となつており、海軍省呉海軍施設部がこれを管理していた。

(二)  そして、戦後昭和二〇年一一月三〇日、右誘道路敷の管理は国有地として右施設部から大蔵省四国財務局松山財務部に引継がれ、前記事務処理は終つているものの、当時の状況が農地のままで残つている土地は、自作農創設特別措置法の趣旨及び耕作者の意向などもあつて、当該各耕作者に売渡すこととし、そのため、該当する土地を農林省に移管し、国から右耕作者にその土地所有権を移転するが、登記名義がいまだ旧所有者のもとにあつたため、耕作者は旧所有者から所有権移転登記を受けるに際し、判つき料名下に旧所有者に金員を支払つた。

しかし、本件土地は、当時すでに農地ではなかつたため、右のような処理はされず、大蔵省の所管するところとなつていた。

(三)  他方、松山市は昭和二三年四月一日国から、前記誘道敷地のうち本件土地を含む三一二七・八七平方メートル(九四七・八四坪)を同市の公営住宅地及び道路敷地(この部分は八二二・六二平方メートル―二四九・二八坪)として賃借し、右目的のためにこれを利用していたが、松山市は右公営住宅をその賃借人に順次売渡し、これを前記本件土地の賃借人あるいはその前主についていえば昭和二九年あるいは同三七年に売却した。そこで国と松山市は昭和三九年三月三一日右賃貸借契約を合意解除し、国は昭和四二年三月三一日付をもつて、改めて右住宅買受人との間に賃貸借契約を結び、現在に至つているものである。右道路敷部分(旧誘道路部分)については、昭和二六年九月一八日には、愛媛県知事は、右道路敷地部分を含む道路につき上三谷三津浜線として県道路線の認定申請を行い、同二七年四月二日建設大臣はこれが認可をし、その後これを順次南伊予三津浜線、砥部伊予松山線となつたが、いずれも本件土地のうち右道路敷部分がこの路線に含まれていた。

2  次に、本件土地近辺の土地及び誘道路に関係した達孝所有地に発生した権利変動についてみると、<証拠略>によれば、本件土地に隣接する一〇六九番、またその近隣にある一一〇五番、一一一三番二、一一二五番二の各土地は、いずれも前記誘道路敷の土地であつたものであること、右各土地はすべて昭和四四年あるいは同四五年に、昭和一九年九月一日の売買を原因として大蔵省に所有権移転登記がなされ、本件の如く係争はないこと、またかつて達孝所有であつた八一〇番、八三二番、八四六番一、八九四番、八九五番、九〇八番の土地も、これまた右誘道路敷であつたが、右八四六番一を除く、その余の土地については、昭和二〇年四月一日の買収を原因として昭和四一年に農林省へ移転登記がなされ、右登記をすることを原告は承諾し、右八四六番一については昭和四〇年農林省名義の保存登記がなされていて、右各土地は、現況が農地であつたため、前認定のように耕作者へ自創法による売渡をすべく、農林省への所有権移転登記及び保存登記(八四六番一の土地はもと未登記土地であつた可能性もある)がなされたものであること、そして右各土地については原、被告間には現在その所有権の帰属について紛争はないこと、以上の事実が認められ、反証はない。

3  ところで<証拠略>によれば、本件土地を含む北斉院地区の誘道路敷地に関連する金員として、前認定のとおりかつて誘道路開設の事務処理を受託していた松山市から、昭和二〇年一一月中旬ごろ、右敷地につき反当り約八〇〇円相当の金員が右敷地所有者分として一括して農協へ支払われ、農協が右各所有者に分配交付したことが認められるが、当時農地の売渡価格は臨時農地価格統制令により統制されていたことは、当裁判所に顕著であり、同令三条一項と<証拠略>によれば、松山市における土地台帳地目田及び現況田の右価格は、地租法による該農地の年間賃貸価格の三〇倍以内とされており(昭和一六年一月三一日農林省告示五二号)、本件土地付近の土地の反当り賃貸価格年額は約二八円であつて、したがつて反当りの統制売買価格は八四〇円となること、他方本件土地の賃貸価格年額は一七円六四銭にすぎず、本件土地は六畝九歩(六二四平方メートル)であるから、前記反当り八〇〇円の金員は本件土地では約五〇三円となり、これは右賃貸価格の約二八・五倍、すなわち約二八年分となることが認められる。

4  本件紛争の起因は、<証拠略>によれば、本件土地につき昭和三九年一〇月一九日宮崎達雄名義で保存登記がなされ、ついで昭和四一年三月一二日、原因を昭和四〇年二月一九日の相続として原告に所有権移転登記のなされたことから、松山税務署が本件土地の右相続による移転を課税原因としたのに対し、原告が本件土地と前記2認定の達孝所有の六筆の土地は旧軍用地(前出の誘道路)であり、自創法によりいずれもその所有権を喪失したものであると主張して、右課税当局の処置に抗議したことにはじまるものであることが推認できる。しかし、前2において認定したとおり右六筆の土地については、その後昭和四〇年一二月あるいは昭和四一年にそれぞれ円滑に農林省への所有権移転登記あるいは保存登記のなされているのである。

以上1ないし4の各認定事実と<証拠略>によれば、本件土地は、昭和一八年ごろから昭和二〇年八月一五日までの間に、当時の所有者達孝から被告へ売渡されたものであることが推認できる。

なるほど、本件土地については長期間にわたつて被告に所有権移転登記のなされていないことは、前認定のところから明らかであるが、<証拠略>によれば、本件旧誘道路敷地の登記関係処理事務は、旧所有者等の利害が絡んで難航し、その進渉は遅々としてはかどらなかつたことが認められるところ、前認定のところからは、本件土地はもともと未登記であり、また前1認定のような利用状況であつたこともあつて、本件土地についての被告の登記事務処理面における管理が等閑にされていたことが窺えるのであるから、右登記のなされていないことをもつて前記推認を動かすに足るものとはいえない。

また松山税務署は原告に対し、原告が相続により本件土地を承継取得したとして相続税の課税を行つたことは、前認定のとおりであるが、いかに課税官署と国有財産の管理官署が異るとはいえ、国民の利益に直接関連する行政行為等につき矛盾があつてはならないことはいうまでもない。しかし、弁論の全趣旨によれば右各官署の実務は必ずしも当然に牽連するものではなく、その事務処理上、矛盾のある行為のなされる可能性が全く否定できないことが認められる以上、右課税の事実をもつて直ちに前記推認を左右するものとはいえない。

三  叙上のとおりであれば、被告のその余の主張につき判断を加えるまでもなく、原告の本訴請求は失当であるから、これを棄却し、被告の第一次的反訴請求は正当であるから、これを認容し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 岩谷憲一)

別紙物件目録 <略>

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